浅間山は日本を代表する活火山で、伊豆大島や阿蘇山、雲仙岳などと並んで最高度の警戒が必要と指定されている12の火山の一つ。標高2568メートル。群馬・長野両県境に東西15キロ、南北35キロにすそ野を広げ、山容の美しさでも知られる。天明以外にも、縄文、古墳、平安時代に大噴火を起こしている。近代以降もたびたび噴火を繰り返し、1947年の噴火では登山者11人が死亡した。気象庁は地震計や空振計、遠望カメラなどを設置して火山活動を常時、監視している。
天明の大噴火で発生した泥流は今では時速百二十キロと推定されている。旧鎌原村に襲いかかるまで、五分あったかどうか。西暦七九年、ベスビオ火山の噴火により消えた古代ローマの都市ポンペイのように、旧鎌原村は、一瞬にして地中に埋もれた。
鎌原村をはじめ、泥流が流れ下った群馬県側を中心に大噴火での死者は約千四百人にのぼった。また、噴火の降灰は太陽光線を遮り、昼間も夜のように暗くなったと言われ、全国で冷害、米の不作を引き起こした。天明の大飢饉(ききん)である。米不足と物価高騰が暮らしを直撃し、各地で一揆(いっき)が相次いだ。幕府ではこれをきっかけに実権は田沼意次から松平定信に移り、「寛政の改革」につながっていく。世界的な気象変動はフランスでも不作を招き、やがてフランス革命の遠因の一つになったという。
「あさま」は火山を示す古語とされる。富士山の神を祀る神社が浅間神社と呼ばれるのも同様の理由であり、阿蘇山の「あそ」も同系のことばであると言われる。現在、多くの浅間山が日本各所に点在しているが、山頂から富士山が見える山を「浅間山」と命名した物が多い。本稿で記す浅間山も多くの山々と同じく、古くから信仰の対象となっており、浅間神社(通常の浅間神社とは祭神が異なる)が鎮座している。あさま山荘事件は浅間山麓ではなく妙義山麓で発生したものである。